ミラーレスを愛用していた俺がフィルムカメラにハマった理由

PEN EE フィルムカメラ

おれが本格的に写真を始めたのは十数年前なのですが、その時はすでにデジタルカメラが普及していてフィルムカメラの命運は尽きかけていました。

ですからおれも当然の様にデジタル一眼レフで写真を始め、その後ミラーレスカメラに移行し、現在はFUJIFILM X-T30で写真を楽しんでいます。

しかし、おれが若い頃は全然状況が違っていました。

スマホで日常的に写真を撮るのが当たり前の世代にはピンとこないと思うけど、現在50代前半のおれが幼少期から少年期を過ごした昭和後半から平成前半の時代には、当然デジカメなんて影も形もなく、写真を撮るにはフィルムカメラを使うのが当たり前だった。

その頃カメラは一家に一台しかないのが普通で、特別な時、例えば誕生日とか旅行とか。そんな日に昭和のお父さんは家族にカメラを向けて一枚一枚大切にシャッターを切り、撮り終わったフィルムは写真店に持って行き現像とプリントをしてもらった。

そして数日後、プリントされてやっと見られるようになった写真は、指紋を付けないように大切に家族間で一枚一枚回し見られながら、また楽しかったその時の思い出話に花を咲かせ、その家族の思い出と共に大切にアルバムに貼られた。

学校で遠足などのイベントがあると、先生たちが持参したカメラで写したプリント写真が後日教室に貼られ、その中から自分の写っている写真を見つけて下に名前を書き入れ、その書き入れた枚数分のお金を払って焼き増しをしてもらった。

クラスの集合写真を撮るときには地元の写真屋さんと共にやって来た中判や大判のカメラが三脚に据えられて校庭に置かれ、その前に並んだ生徒がカメラのファインダーを覆う暗幕を被った写真屋さんの指示で右や左に動き、全員の顔がちゃんと見える位置が決まると今度は動かないでと念を押されてからケーブルレリーズを使ってガシャンとシャッターが切られた。

中判や大判のフィルムは高いので、失敗は許されないのだ。

翻って現代は本当にたくさんの写真が撮影されるようになった。当時と比べて一人が写す写真の枚数は何百倍にも何千倍にもなったはずだ。

そんな風に事あるごとにシャッターが切られてたくさんの写真が残る今の若い人たちの事を羨ましく思う反面、ほとんどの写真が記憶に残ることなく消費されて行くであろう事が可哀想でもある。

いや、やっぱり羨ましいかな(笑)

とにかく一枚一枚の撮影にコストのかかるフィルム写真は記録が主な役割だったが、何枚写してもコストゼロのデジタル写真は記録だけでなく自己表現に用いられることが圧倒的に増えたと思う。それは、自撮りだけでない。料理を美味しそうに写したり、写真にフィルターをかけてエモい感じを追求したりする事も立派な自己表現だ。

高画質の写真をバンバン撮影でき、それを加工するアプリも発達している今は昔に比べて表現のために写真を撮るハードルが大幅に下がったと思う。それは本当に羨ましい事だ。

俺が若い頃に話を戻すと、10代の頃の俺は写真少年だった訳ではない。

機械物は好きだったのでカメラに興味がなかった訳ではないが、その頃は釣りとオーディオにお金を使っていてカメラを買う余裕なんてなかったので、父親のお古の「OLYMPUS PEN EE」を主に使っていた。

Pen外観

このPENはいまだに持っていて、先日久しぶりにフィルムを通してみたのですが残念ながらシャッタースピードが不安定で大幅に露出オーバーになったカットが何枚もありました。それでもちゃんと写っている写真もあったのは、五十年以上前の、しかも一度も整備していないカメラだと考えると凄いことですね。

PENで写した愛車の写真

そのPENを与えてくれたおれの父は、テレビ局に勤めていたからなのかPENの他にも当時としてはかなり贅沢なレンジファインダーカメラを持っていてロケハンなどに使っていたみたいだが、流石にそのカメラは使わせてもらえなかった。

レンジファインダー

この写真に写っているのがそのレンジファインダーカメラなのですが、プリント写真をスキャンした不鮮明なこの画像では、どこのメーカーの何て言うカメラなのか全く分かりません。もちろん、この画像の特徴から色々検索してみたけれどそれらしいカメラはヒットしませんでした。

もしもわかる方がいらっしゃいましたらこちらのフォームよりご一報くだされば幸いです。

話は変わりますが、母方の祖父は晩年カメラを趣味にしたらしく、おれが十代後半になった頃、祖父母の家に遊びに行くと良く一眼レフカメラを大切に磨いていました。

現代の孫とおじいちゃんの関係だったら、そのカメラを握らせてもらったりシャッターを切らせてもらったりなんて簡単に出来ると思うけど、当時のおじいちゃんはとても怖くて近寄り難い存在だった。

特に母型の祖父は海軍で戦艦の艦長をしていた元軍人だったので、とてもじゃないけど中高生の子供が気軽に話しかけられる雰囲気ではなかった。

でも俺はそのカメラにとても興味があったので(平たく言えば欲しかった)祖父がカメラを磨いているところを遠くからよく眺めていた。

そんな祖父も80を超えて癌になり入院生活になるといくらか柔和になったし、その頃の俺はもう二十歳前の青年になっていたので多少は気楽に会話ができるようになった。

そんなある日、調理師見習いになっていたおれが手作りのビーフシチューを持ってお見舞いに行くと、経緯は全く覚えていないがそのカメラの話題になった。

祖父はおれがカメラを欲しそうにしていた事を覚えていたらしく、自分が亡くなったらそのカメラを形見に譲ると言ってくれたのだ。

そして数ヶ月後、祖父は天国へと旅立って行き、その一眼レフカメラ(たぶんNikon F)はおれの手に握られるはずだったのだが…

事はそんな風には進まなかった。

当時母の実家である祖父の家には母の兄夫婦とその子供たち、おれにとっては従兄弟が住んでいた。

察しの良い方はもう分かったと思うけど、おれが譲り受けるはずだった一眼レフカメラはいつの間にか従兄弟の手に渡っていたのだ。多分祖父はカメラをおれに譲ると言う話を誰にも話していなかったのだろう。

でもお母さんの兄の子供ならずいぶん大きいはずだから、事情を話したら譲ってくれるんじゃないの?

あなたはそんな疑問を持たれたかも知れないけど、母の兄は結婚が遅かったのでその従兄弟はおれよりも随分と年下のまだ子供だったので、年上のおれが取り上げる訳には行かず、一応事情を母に話してみたのだが結局おれの手にカメラが握られることは無かった。

三十年ほど経っても心に残るあのカメラを手に出来なかった悔しさが、今のおれをフィルムカメラに向かわせているのかも知れない。

あまりに悔しいので、おれが別にやっている「ガジェぶろぐ」と言うサイトで書いていたカメラを題材にしたストーリーの中の一話「【依カメラ】9. モノクロームとNikon F」でそのエピソードを形を変えて使ってしまった(笑)

長くなって来たので続きはいつか、気が向いたら書きますね。

それではまた。

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